2016年11月30日水曜日

いつでも出来事は明日を作る、出会いも結婚も同じ

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フョードル・ドストエフスキー

思想は感情のなかから生まれる。そしてその思想が人のうちに根をおろすと、こんどは新しい感情を形成する。

言葉に現れるものよりも内部に残っている方がずっと多い。

人間というものは時として、何にそそのかされて我を押し通すのか、自分でも分からぬことがあるものだ。

良心の自由ほど魅惑的なものはないけれど、またこれほど苦しいものはないのだ。

悲しみのなかに幸福をもとめるがよい。働くんだ、たゆみなく働くんだ。

人が子供を持つのは、たとえ自分は死んでも、子供たちが生涯自分の感情や考えを持ち続けてくれるからさ。

文明のおかげで人間がより残忍になったとはいえないとしても、前よりも残忍さが醜悪になったことは確かだろう。

幸福は幸福の中にあるのではなく、それを手に入れる過程の中だけにある。




2016年11月24日木曜日

喜びも悲しみも乗り越えて、新しい恋愛へ行く時の相談

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ジョルジュ・バタイユ
私が決して忘れることができないのは、現に起こっている事、現に在る事を、眼を開いて正面から見据えようとする意志に結びついた、暴力的で驚異的なものである。もし私が極端な快楽も、極端な苦痛も、少しも知らないとすれば、私は現に起こっている事も知りえないに違いない。

サドは果てしない作品を書いて、受け容れがたい諸価値を肯定しようとした。彼の言うことを信じるならば、生とは快楽の追求であり、快楽とは生の破壊に比例したものだった。言葉を変えれば、生は生の原理の奇怪な否定において、最高の強度に達するというのである。

精神が己自身から顔を背け、いわば背を向けて、その頑固さの中で自己の真実の戯画となるのは、私の目にはさほど驚くべきことでもない。たとえ人間が嘘を必要とするにしても、要するに、それは人間の勝手というものであろう!多分自尊心のある人間も、人間の集団には溺れるのだ。


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2016年11月17日木曜日

いちいち感情的になっては何も起きない、恋愛も復縁も冷静さだ

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人間優越感に浸りたい、だから他人を速攻で馬鹿だろうという。 正直言うお前ほど馬鹿じゃない場合が多いだろうけど、学歴や年収で測ればいいのかな? 要は目安がないものへ罵倒しても意味はない、意味のない事を言っている相手に構う暇はない、冷ややかに笑って終わりにしよう。
そもそも家柄が良ければ、いちいち罵りはしない、小馬鹿にされた感情で言うのだから、自分で小馬鹿を実証したと思い、言われた側は納得すればいい。


仏教ではこう考える (学研新書) 釈徹宗 

仏教での平等思想の実践とは、仏教の教えによって差別しない人間になれるというのではなく、「つい無意識に差別して優越感や劣等感をもってしまうのが私というやつなのだ」ということを常に自覚するところにあると思うのです。そして、この自覚にもとづいて、すべての生きとし生けるものへの慈しみを肌感覚となるように習慣づける、というのが仏教の説くところです。 

仏教では、〝自分というもの〟は本性がないと考えます。ちょうどタマネギみたいに、ずっと皮をむきつづけた果てに、結局、何もなくなった、というようなイメージです。いくら自分を探しつづけても実体はない、そう認識するんです。〝自分というもの〟は他者との関係性のなかにしか存在しえない、ということが実感できれば意外な方向の扉がひらくかもしれません。 

2016年11月14日月曜日

貴女は何のために生きているのか?知りたくないですか?

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適切な行動をとったら、ほめてもらえる。不適切な行動をとったら、罰せられる。アドラーは、こうした賞罰による教育を厳しく批判しました。賞罰教育の先に生まれるのは「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」「罰する人がいなければ、不適切な行動もとる」という、誤ったライフスタイルです。

もしもあなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても、怒ってはいけません。それが当たり前なのです。

もしも「このままのわたし」であり続けていれば、目の前の出来事にどう対処すればいいか、そしてその結果どんなことが起こるのか、経験から推測できます。いわば、乗り慣れた車を運転しているような状態です。多少のガタがきていても、織り込み済みで乗りこなすことができるわけです。 一方、新しいライフスタイルを選んでしまったら、新しい自分になにが起きるかもわからないし、目の前の出来事にどう対処すればいいかもわかりません。未来が見通しづらくなるし、不安だらけの生を送ることになる。もっと苦しく、もっと不幸な生が待っているのかもしれない。つまり人は、いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心なのです。 
嫌われる勇気 嫌われる勇気 岸見 一郎  / 古賀 史健